鎌倉ゆかりの英雄、頼朝と早雲

源頼朝は史上初の武家政権を樹立した人物。北条早雲は日本最初の戦国大名です。この二人の英雄は共に鎌倉と深い関係を有しています。
日本の中世という時代には京都のほかにもう一つ中心がありました。それは武家の都、鎌倉です。その鎌倉の街が政治的にパワーを有していた時代の初めに頼朝がいて、その最後を北条早雲が締め括るのです。
源頼朝
上の写真は、源頼朝が配流された蛭ヶ小島から富士山を望んだものです。
2体の像は頼朝と北条政子。
旗上げ前の頼朝はいつもこの雄大な景色を眺めていたに違いありません。つまり、彼の心にはこの富士山の勇姿が刻印されていたのではないでしょうか。
一般に源頼朝の印象はあまり良くないかもしれません。冷徹・冷酷というネガティブなイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか。その理由は、弟の義経、範頼、叔父の行家や娘婿の清水冠者義高、それから功臣の上総介広常や義経と静御前との間の子など、実に多くの、世人に同情されがちな人間を殺しているからでありましょう。しかし、頼朝の身になって、彼に同情する見方からは、範頼や広常を殺したのでさえ、寛恕すべき事情がないことはないのであります。
その事情とは二つ、一つは少年時代に味方の裏切りによる父義朝の惨たらしい死に様を目の当たりにしていること。この事件は、おさおさ人は信用ならぬ代物であることを頼朝のまだ小さな胸に刻み込ませたことでしょう。二つ目は伊藤祐親に我が子を川に沈められたことです。この世界に我が子以上にかわゆい、愛すべき対象がほかにありましょうか。
ですから、少しでもおかしな言動、挙措をする者あらば、これを直ちになんとかしようとしたとしても、頼朝の身になってみれば、それもやむなし、と思えば思えます。諺にもあるではないですか、「羹に懲りて膾を吹く」と。
しかし、本来の頼朝は優しい人だったようです。自分を助けた池の禅尼の子頼盛を助けたことは、そのことをもって直ちに優しい人だとは言えないけれど、恩義にはちゃんと報いる人であることは分かります。
清盛に捕らえられ、頼朝がまな板の鯉になっていたとき、彼は何をしていたかというと、殊勝にも、死んだ父兄弟のために経を誦し、卒塔婆を彫っていたということです。この姿に池の禅尼が同情し、彼女をして清盛へ命乞いをさせたのです。
禅尼のおかげで、辛くも死地を脱した頼朝は伊豆へ配流と相成り、旗揚げまでの二十年間、ここで暮らすことになるのですが、頼朝には比企尼という彼にとっては乳母がいて、この人が物心両面から頼朝を支えるのです。だから後年、彼が勢いを得てからは、頼朝は比企尼の子らをずいぶん優遇しています。
頼朝は孝心の深い人だったようですが、これも彼が天下を取ってからのこと、父義朝の乳母で、すでに卒寿に近い老婆を呼び出して、父の昔語りをさせてしきりに落涙したという話が伝わっています。それから、彼の伊豆での謫居中は毎日父義朝と父と共に死んだ家臣鎌田政家のために念仏を唱えていたといいますし、自分の家臣である三浦大介や佐奈田余一らのためにもずいぶんな報謝を行っています。
生まれ落ちてより英気淋漓たる頼朝でしたが、その優しさも海の広さを持った千古の英雄でありました。
北条早雲
次の画像は同じ蛭ヶ小島から北条早雲の居城、韮山城趾を望んだものです。

ご覧のとおり、韮山城は源頼朝が配流された蛭ヶ小島から指呼の間にあります。
北条早雲の心にも頼朝が眺めた同じ富士の雄姿があったに違いありません。
韮山城は後北条氏の小田原以前の本城で、「北条」を名乗ったのは早雲の後の氏綱からですが、そこには鎌倉北条氏への多大なリスペクトがあったのでした。
いわば「ネオ北条氏」は、やはりここから指呼の間にある堀越御所に足利氏(茶々丸)を攻め、さらに東上して鎌倉に城を築き(玉縄城)、頼朝時代以来の名族、三浦氏を鎌倉北条氏がしたように攻め滅ぼして、いよいよ戦国大名へと脱皮するのでした。
北条早雲はどんな人物であったか。人物を評するのに、多言を用いるよりも一個の肖像を見た方が分かりやすい場合がありますが、早雲の場合もこれに当たり、その肖像は箱根の早雲寺にある「北条早雲像」です。あの面構え、恐ろしい才覚の持ち主であったことを何よりも雄弁に語っております。
城中の隅の隅まで目が届いていて、飯炊きなどの下女のすることにまでその眼光は及んでいたそうです。また、非常な倹約家でもあったそうで、裁縫で使う針、あんな物も蔵に山と積むほどに蓄えていたというエピソードがあります。でなければ、備中(今の岡山県)から立って、関東の伊豆・相模を我が足の下にしてしまえる筈がありません。
意気揚々と鎌倉に入った早雲は、鎌倉をまた「もとの都になしてこそみめ」と歌ったそうでありますが、敗れた三浦の当主道寸は、討つ方も討たれる方もいずれも皆「土くれ」だと慨然として歌っています。
次の画像は三浦半島にある三浦道寸の墓。行くといつも海の音が寥々と響いています。

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どうして元気が出るのか?
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Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永


