「般若心経」この必携のパワーアイテム!

般若心経と私
二十代も後半になって、ようやく浮世のしょっぱい水を心ならずも頂戴するようになった頃、何か心から信じられるものがあったらどんなにラクだろううかと思いました。
自分の資産が五年後には倍になっていることを信じる、とか、三年後には司法試験をパスしていてバリバリ働いていることを信じる、とか、明るい未来を信じる、とか、そういうことではなく(希望を持つことはとても大事ですが)、問題は今、連続していく「今」という時間の各々全てにおいて、いつも「これで大丈夫だと」安心させてくれるもの、そういうものが仮にあって、それを信じ、我が身に取り込んで生きていければどんなにラクだろうかと思ったのです。
信じるに値するもの。それは真理でありましょう。そして真理は欠けるところのない、磨かれた美しい水晶玉のようなもので、夜空に月が二つとないように、真理にも二つはないはずで、だからこそ信じるに値するわけです。

真理というと、どうしても宗教の領域に入ってくるわけですが、昔からあり続けている宗教はどれもたった一つの真理を説いているはずで、どれも信用がおけるものなのだろうと私には考えられました。
だから、キリスト教でもイスラム教でもよいわけなのでしょうが、私の家が代々仏式の葬儀を執り行ってきているなど、一応仏徒の括りに入っていることなどから、私個人的には仏教に馴染みがあったので、お釈迦様の語られたことを知りたいと思ったのです。
幸田露伴 著 「般若心経第二義注」という優れた本
普通、お釈迦様を含めた仏様の語られたことは「経」というそうですが、数多ある経の中でも般若心経は仏教の原初に近いものと伺い、まずこの般若心経にあたってみました。
といって、注解のない原文から即理解できるものではありませんので、幾つかの解説書を読んでみたのですが、私が最も分かり良かったのは幸田露伴が著した「般若心経第二義注」という本でした。

有名な「色即是空 空即是色」。
やや誇張していうと、お釈迦様の伝えたいことは、全てこのたった八文字のうちに要約できるのではないかと思いました。
「色即是空」。
この意味は何となく理解できます。つまり、この世の中には一切、私たちが執着すべきほどのものはないということでしょう。自分の生命も勿論これに含まれますが、頭で理解できていても悟ることができていない私は、もしこれを実践して生きていくことができたらどんなにか生きやすくなるだろうと、毎日我が身を顧みながら忸怩たる思いを託っています。

そして、「空即是色」。
この四文字が、とくに私には響きました。
上の「般若心経第二義注」で幸田露伴は例を挙げて説明しています。
まずは虹。色即是空の観点では虹は存在しない。つまり「空」です。でもこれを「ある」と見るのが「空即是色」の観点です。斜に構えたニヒルな人間ならあくまでも「虹はない」とこだわるところ、これを「ある」と見るのです。
また露伴は人の入浴の行為から、垢を落として湯から上がり、再び日常へ帰ってくること、これを「空即是色」の例として挙げています。垢を落とすことは良いことだけれど、湯に浸かりっぱなし(色即是空と知ったまで)で頭ののぼせ上がった人間は、垢のついた未入浴の人間よりもなおタチが悪いと言っています。
つまり、「空即是色」にて、初めて円満な人間が出来上がるわけで、こういう人間こそがこの現実社会の役に立つのだというのです。

こういうわけで、「色即是空 空即是色」のうち「空即是色」の四文字に私は感動したのですが、つまりは般若心経はこの世知辛い現実社会を生きていくための指針、まさに魔を斬って捨て、私たちが前向きに、元気に、溌剌と生活していくための「利剣・宝剣」であると思うのです。
いずれは死を恐れぬ強い人間になってみたいものであります。

般若心経第二義注 幸田露伴 著
この本は電子書籍になっています。
この本の著者である幸田露伴は、申すまでもなく日本屈指の偉大な小説家のひとりです。自ら般若心経の実践者のように、その長き人生を悠々と歩まれましたが、その幸田露伴が般若心経を一般の人向けにとても分かりやすく本書で解説しています。
有名な「色即是空 空即是色」。
このうち「空即是色」を解説している箇所、とくにこの部分は、複雑混沌とした今ある現実の社会を私たちが前向きに溌剌として生きていくための、般若心経の功徳を説いている箇所として非常に優れていると思います。
幸田露伴は般若心経を「利剣」とも「宝剣」とも表現していますが、自ら進んで精神を病み、迷い道に入り込みがちな昨今の私たちにとって、まさに般若心経は、魔・迷妄を斬り捨て、私たちが今を元気に溌剌として生きていくための利剣・宝剣であると思うのです。
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Lab 鎌倉奥乃院 益田寿永

