青春小説の金字塔「たけくらべ」そして「一葉記念館」

樋口一葉が経営していた駄菓子屋(イメージ)一葉記念館にて撮影

私と樋口一葉

樋口一葉は、短い間でしたが、駄菓子屋を経営していました。その場所は下谷龍泉寺町(現在の東京都台東区竜泉)で、新吉原遊郭のすぐ近くでした。まさに一葉の代表作「たけくらべ」の冒頭にあるとおり、「お歯黒どぶに灯火うつる三階の騒ぎも手に取る如く」というくらいの近さと言えましょう。

一葉の駄菓子屋と新吉原遊郭の位置関係(一葉記念館にて撮影)

「たけくらべ」で秋の情景を描写した中に「日暮里の火の光」というのがあり、それは人を焼く火葬場の光や烟りなのですが、その駄菓子屋の前の道を西へずっと行くと日暮里へ至るのであります。現在もこのとおりで、日暮里駅前から有名な「日暮里繊維街」のある「日暮里中央通り」を抜けて国道4号線を横切り、「茶屋町通り」をさらに進めばかつての新吉原遊郭に突き当たります。その新吉原のちょっと手前に石碑が立っており、石碑には、





「樋口一葉旧居跡」





と刻まれてあるのですが、この石碑の立っている場所がまさしく一葉が営んだ駄菓子屋があった場所になるのです。

樋口一葉旧居跡

私はかつて日暮里繊維街にあるワンルームで独居していたことがあるのですが、アパートの前のこの道が、一葉の駄菓子屋が面している道に真っ直ぐ続いているという事実に嬉しくなることが度々ありました。





もちろん、一葉の最高傑作にして我が国青春小説の金字塔「たけくらべ」のあの小説の世界にこの道が通じているという思いもそこには含まれています。

「一葉記念館」へ!

というわけで、私の日暮里時代、「一葉記念館」は私にはとても親しい場所になっていたのですが、日暮里を出てからは久しくそこを訪れることがありませんでした。





久しく無沙汰にしていた間、記念館はリニューアルされていて、この度、初めてリニューアル後の一葉記念館へ行って来ました。

一葉記念館
一葉記念館 入り口

私は都営浅草線「浅草駅」を降り、真夏の炎天下、雷門前の「いと長き柳の緑」に涼を感じたのも束の間、視界もゆらゆらするくらいの幻惑的な炎暑のために早速喫茶店に逃げ込んで呼吸を整えました。

老舗 「ローヤル珈琲店」のモーニング

喫茶店を出てからはひさご通り、千束通りを抜け、新吉原弁天池の跡を見学し、吉原神社へ参詣してから「一葉記念館」に入りました。

弁天池跡の観音像

一葉記念館では約3時間滞在しました。炎暑の外へ出たくなかったからではありません。気がついたら3時間も経過していたのです。それほどに記念館は私を惹きつけたのであります。





記念館を出ると陽が幾分傾いていました。

記念館を出たところに「一葉記念公園」があり、ここに石碑が二つ立っております。もちろん一葉に関わるものですが、鎌倉文士の小島政二郎及び佐佐木信綱がその制作に関わっているので、鎌倉の住人である私には興味の尽きない石碑ではあります。

一葉記念公園の石碑。菊池寛と小島政二郎の名前がある。
たけくらべ記念碑。佐佐木信綱の歌・書が刻まれている。

前述の「一葉旧居跡石碑」は記念館からすぐのところに立っています。





石碑の前で私は暑さを忘れてしばらく佇んでいましたが、それはその石碑から一葉女史の息遣いが感じられたからであることは言うまでもありません。

日暮里時代を懐古する意味から、私は石碑の前から日暮里駅まで歩いてみました。





立ち並ぶビルが邪魔をして「日暮里の火の光」なんて見えるはずもないのですが、それが見えた時代を憧憬しながら私は歩いたのでした。

樋口一葉は結核のために24歳という若さで亡くなりました。





「奇跡の14ヶ月」を彼女のライフワークとするには、あまりに納得がいかないのであります。

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Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永