死者たちの街 鎌倉
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やぐら

「やぐら」は特に鎌倉で見られる遺構で、花でも大仏でもなく、ある意味鎌倉を最もよく象徴している事物なのかもしれません。
「やぐら」は中世期の武士や僧侶の墳墓だといわれています。この意味から、たとえば源頼朝の墓とされる場所の近くに三浦一族のやぐらがありますが、今でも彼らを供養する献花が、いつ行っても薄暗い穴の中で瑞々しく咲いています。
上の写真は、覚園寺の裏山にある「百八やぐら」と呼ばれているやぐら群の一つです。五輪塔がレリーフされていますが、「百八やぐら」は全部で177穴あり、鎌倉で最も規模が大きいやぐら群だそうで、鎌倉にあるほとんど全てのやぐらの形式が見られるといいます。
鎌倉の有名・無名の墓いくつか

慌ただしい人生も過ぎてしまえば、ただ写真の中、あるいは土の中ですが、上の写真の閉ざされたやぐらの中の人は、相馬師常という御仁で、鎌倉幕府草創期の有力御家人の一人です。被葬者が知られている極めて稀なやぐらなのだそうです。

上の写真は、おそらく鎌倉で最も立派な墓である護良親王のものです。長い階段を登った山の上にあります。
護良親王は非常に気の毒な方で、北条高時の遺児、北条時行との合体を恐れた足利直義に殺され、その首は雑作なく、草むらに打ち捨てられたのであります。その首は月影に物凄い形相をしていたとのことですが、この首を近くの理智光寺(現在は廃寺)の住僧が拾い、これを山上に埋葬したとの言い伝えがあります。
気の毒といえば、下の写真にある源義朝と鎌田政家主従のお二人です。味方の卑劣な裏切りによって殺されたのですが、我が父と忠良なる家臣の、こんな死に様を少年時代に目の当たりにしてしまえば、頼朝が人世をおさおさ油断のならない代物であると理解したとしても仕方ありません。

鎌倉には実に墓が多いです。下の写真にあるように、生活道の傍に、半ば草に埋もれたような形で、結構な墓石が建っていたりします。
とくにお盆の期間は、鎌倉は「死者たちの街」といっても過言ではないでしょう。霊感の強い方で、北鎌倉に武者行列を見たという人もいます。


上の写真は、鎌倉宮例大祭の盆踊りです。
ご祭神、護良親王の命日に行われています。
可哀想な死に方をした親王ですが、この爛々たる賑やかな夜祭をいかがご覧になったでしょうか。
しかしともかく、見ず知らずの人々が輪になって、そこへ自分も入って踊るのは、一種の恍惚で楽しいです。
Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永


