鎌倉の数寄屋建築 旧吉屋信子邸を訪問

吉屋信子

吉屋信子はいわゆる文学少女であったときから77歳で亡くなる直前まで、生涯を文学に貫いた女性。





女学校時代、講演に来た新渡戸稲造が「良妻賢母よりも一人の人間としての女性の完成」を説き、吉屋は強い感銘を受けたといいます。吉屋が残してくれた仕事を振り返れば、彼女は生涯、この時の感銘を忘れなかったと思われます。

同じく鎌倉文士の一人で、割と近所に住んでいた高浜虚子に俳句の面で吉屋は師事していましたが、高浜の俳句に次の一句があります。

「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」

ゆく年くる年を詠んだものでありましょうが、私は吉屋その人の「貫く棒の如きもの」を見るような思いがするのです。

吉屋の俳句には次の有名な句があります。

「秋灯机の上の幾山河」

秋の夜、某日某時の彼女の正直な実感を詠んだものでしょう。

吉屋信子:1896年(明治29年)〜1973年(昭和48年) 小説家

旧吉屋信子邸(鎌倉市吉屋信子記念館)

吉屋信子邸は、吉屋の「自分の得たものは社会に還元し、住居は記念館のような形で残してほしい」という遺志により鎌倉市に寄贈され、その遺志通り、吉屋信子記念館として生まれ変わったものです。

近代数寄屋建築の第一人者、吉田五十八が吉屋に「奈良の尼寺のように」と望まれて設計したものです。





吉田五十八は多くの建築の設計に携わっていますが、鎌倉に近い所では、現在は「山口蓬春記念館」として公開されている画家、山口蓬春の葉山の邸宅も設計しています。

吉屋信子邸は国の有形文化財に登録されていますが、登録の範囲には主屋のみならず、その門及び塀も含まれています。そうと知れば、なるほど、門も塀も共にほかにはない独特の趣があります。

吉屋は背が低く、邸宅はその背丈に合わせた作りになっていると聞いたことがありますが、中でも私は、北庭に面した書斎を見るのが好きです。そこには味わいある机と椅子が置いてありますが、勿論、私は彼女の名句、「秋灯机の上の幾山河」を思い出します。

吉屋信子記念館は常時公開されているわけではありません。大体春と秋に公開されています。





公開されているときは、私は元気をもらいによく行きます。

Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永