鎌倉の映画-山田洋次監督ほか

1 鎌倉にゆかりがある山田洋次監督の映画の紹介
山田洋次監督は松竹出身で、松竹の非常に狭き門をパスして監督になった人物だ。
松竹大船撮影所は昭和11年(1936年)から平成12年(2000年)まで鎌倉市大船の地にあった巨大な映画スタジオだが、その締め括りの作品は山田洋次監督が撮ったのだった。
いわゆる「松竹大船調」の正統的継承者だ。
私がこれまで観た山田洋次監督作品のなかで鎌倉にゆかりがあるものを紹介します。
あらすじは書きません。実際に作品をご覧になっていただければ嬉しいです。
タイトル | 監督 | 制作 | 公開年 | 主な出演者 | コメント |
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男はつらいよ 「寅次郎あじさいの恋」 | 山田洋次 | 松竹 | 1982年 | 渥美清、いしだあゆみ、十三代目片岡仁左衛門、柄本明 | 甲斐性なしの寅さんが余すところなく出ている作品。タイトルにある「あじさい」は、この映画では鎌倉成就院の紫陽花。ほかに七里ヶ浜や江ノ島がシーンとして出てくる。江ノ島には海が見下ろせる料理屋が多いが、本作のせいで、私は何度もそれらの料理屋で酒を飲んだ。 |
キネマの天地 | 山田洋次 | 松竹 | 1986年 | 中井貴一、有森也実、渥美清、すまけい、笠智衆 | 舞台は松竹蒲田撮影所で大船撮影所ではなく、したがってシーンとして鎌倉は出てこないのだが、松竹映画のほぼ全てが詰まっていて、完全な大船調映画に仕立てられていることからここに挙げさせてもらった。大船調の創始者である城戸四郎や小津安二郎も出てくる。 |
男はつらいよ 「拝啓車寅次郎様」 | 山田洋次 | 松竹 | 1994年 | 渥美清、かたせ梨乃、牧瀬里穂、吉岡秀隆 | マドンナのかたせ梨乃が鎌倉在住の主婦という設定から鎌倉がシーンとして出てくる。渥美清と吉岡秀隆の江ノ電「鎌倉高校前」駅での別れのシーンはとてもいい。 |
十五才 学校Ⅳ | 山田洋次 | 松竹 | 2000年 | 金井勇太、麻美れい、赤井英和、丹波哲郎、小林稔侍、秋野暢子、前田吟 | 松竹大船撮影所の最後を飾るにふさわしい、伝統の大船調の映画。感動して、私は大いに泣いた。ラストのシーンに鎌倉を走る湘南モノレールが出る。最後の最後は鎌倉の風景を映したものだったのだ。 |
キネマの神様 | 山田洋次 | 松竹 | 2021年 | 沢田研二、菅田将暉、永野芽郁、寺島しのぶ、小林稔侍、宮本信子、北川景子 | 松竹映画100周年を記念した映画。かつての活気ある松竹大船撮影所が舞台となる。小津安二郎も出る。永野芽郁は撮影所のすぐ近くで営む食堂の看板娘という設定だが、実際、当時の大船撮影所の周りにはこうした料理屋とか食堂が幾つかあったそうで、各監督はその中から贔屓の店を持っていたようだ。撮影所と料理屋は持ちつ持たれつ、とても濃厚な関係であったようだが、それは「松竹大船撮影所前松尾食堂」(山本若菜著)という本を読むとさらによく分かる。 |
2 その他の鎌倉にゆかりがある映画の紹介

やはり撮影所の立地条件からか、松竹のものが多くなっている。
タイトル | 監督 | 制作 | 公開年 | 主な出演者 | コメント |
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暖流 | 吉村公三郎 | 松竹 | 1934年 | 佐分利信、高峰三枝子、水戸光子、徳大寺伸 | 鎌倉山に病院長の令嬢(高峰三枝子)の別荘がある設定。ラストの海のシーンは湘南の海のようだ。高峰が美しく、佐分利がカッコいい。 |
我が家は楽し | 中村登 | 松竹 | 1951年 | 山田五十鈴、高峰秀子、笠智衆、佐田啓二、岸恵子 | 七里ヶ浜の「湘南療養所」が映る。そこに高峰秀子の恋人佐田啓二が入院している。佐田と高峰が七里ヶ浜で語らうシーンがあり、遠くに江ノ島が浮かんでいる。 山田の慈母ぶり、高峰の孝行ぶり、そして両者の美しさが際立つ作品だ。 |
旅路 | 中村登 | 松竹 | 1953年 | 岸恵子、佐田啓二、若原雅夫、月丘夢路、笠智衆、北原三枝 | 冒頭、鎌倉駅のシーンから始まる。瑞泉寺、円覚寺、七里ヶ浜(遠景として江ノ島)のシーンがある。 原作は鎌倉文士の一人、大佛次郎の同名の小説。小説でも鎌倉のシーンが多く出てくる。 |
狂った果実 | 中平康 | 日活 | 1956年 | 石原裕次郎、津川雅彦、北原三枝、岡田眞澄 | 鎌倉と逗子が舞台。雰囲気のある映画で私は大好きだ。原作者の石原慎太郎がチョイ役で出ている。北原三枝が非常に魅力的。 |
美しさと哀しみと | 篠田正浩 | 松竹 | 1965年 | 山村聰、八千草薫、加賀まりこ、山本圭、渡辺美佐子 | 円覚寺、江ノ島水族館のシーンが出る。 原作は鎌倉文士の一人、川端康成の同名の小説。小説も大変面白い。小説でも鎌倉と京都が舞台。 川端康成の「加賀まりこ」と題された随筆から引用する。「映画「美しさと哀しみと」は、原作にないことは一つもなく、原作にない会話は一つもないが、私がまるで加賀まりこさんのために書いたような、ほかの女優では考へられないやうな、主演のまりこがそこに現れた。「乾いた花」などからの篠田氏の監督の力はもちろんながら、けい子といふエキセントリックな、やや妖精じみた娘は、演技より前の、あるひは演技の源の、加賀さんの持って生まれた、いちじるしい個性と素質が出ていた。」(川端康成全集第二十八巻 株式会社新潮社 昭和57年2月) 監督の篠田正浩は岩下志麻の夫だが、女性に大変モテたそうだ。加賀まりこも篠田監督の追っかけだったという話を聞いたことがある。 |
夜叉ヶ池 | 篠田正浩 | 松竹 | 1979年 | 五代目坂東玉三郎、山崎努、加藤剛、丹阿弥谷津子 | 鎌倉はシーンとして出てこないが、原作が鎌倉文士の一人、泉鏡花の同名の戯曲であることからここに挙げさせてもらった。 ラストの洪水のシーンは圧巻。 |
ツィゴイネルワイゼン | 鈴木清順 | シネマ・プラセット | 1980年 | 原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代、麿赤兒 | 釈迦堂口切通しなど鎌倉がシーンとして使われている。原田芳雄と藤田敏八の男の色気といったらいいのか、今日ではなかなか見ることのできない俳優の演技に酔うことができる。 原作は内田百閒の「サラサーテの盤」だが、小説では鎌倉は出てこない。小説のほうも大変面白く、これは珠玉の名品だ。 鈴木清順監督は「鎌倉アカデミア(鎌倉大学校)」の映画科で学んだ人物だ。鎌倉アカデミアは鎌倉光明寺境内に昭和21年に開校された学校で、小説家の高見順や歌人の吉野秀雄等鎌倉在住の文化人が教授陣に名を連ねたが、資金的な問題でわずか四年半で閉校するに至った。 |