鎌倉ゆかりの英雄、頼朝と早雲

蛭ヶ小島

蛭ヶ小島の頼朝と政子の夫妻像

源頼朝は史上初の武家政権を樹立した人物。北条早雲は日本最初の戦国大名です。この二人の英雄は共に鎌倉と深い関係を有しています。





日本の中世という時代は京都のほかにもう一つ中心がありました。それは武家の都、鎌倉です。その鎌倉の街が政治的にパワーを有していた時代の初めに頼朝が居て、その最後を北条早雲が締め括るのです。

写真は、源頼朝が配流された蛭ヶ小島から富士山を望んだものです。





2体の像は頼朝と北条政子。





旗上げ前の頼朝はいつもこの雄大な景色を眺めていたに違いありません。

韮山城址

次の画像は同じ蛭ヶ小島から北条早雲の居城、韮山城趾を望んだもの。

ご覧のとおり、韮山城は源頼朝が配流された蛭ヶ小島から指呼の間にあります。





北条早雲の心にも頼朝が眺めた同じ富士の雄姿があったに違いありません。 

韮山城は後北条氏の小田原以前の本城で、「北条」を名乗ったのは早雲の後の氏綱からですが、そこには鎌倉北条氏への多大なリスペクトがあったのでした。





いわば「ネオ北条氏」は、やはりここから指呼の間にある堀越御所に足利氏(茶々丸)を攻め、さらに東上して鎌倉に城を築き(玉縄城)、頼朝時代以来の名族、三浦氏を鎌倉北条氏がしたように攻め滅ぼして、いよいよ戦国大名へと脱皮するのでした。 

意気揚々と鎌倉に入った早雲は、鎌倉をまた「もとの都になしてこそみめ」と歌い、敗れた三浦の当主道寸は、討つ方も討たれる方もいずれも皆「土くれ」だと慨然として歌っています。

次の画像は三浦半島にある三浦道寸の墓。行くといつも海の音が寥々と響いています。

三浦道寸の墓

幸田露伴「頼朝」

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北条早雲及び後北条氏の本

私たちが制作した下記の本の中で、後北条氏について触れています。

「鎌倉の歴史と芸術」 著者:益田寿永

以下、本の紹介の抜粋





鎌倉という街は私たちを幸福にしてくれます。そして今や、その「私たち」とは、日本人だけではなく、世界の人々がこれに該当するでしょう。 中でもこの本の著者にとっては、その人生において、鎌倉は欠くことのできない必要な街になっています。鎌倉を思うだけで元気が出てきます。





どうして元気が出るのか?





鎌倉は多面的な街です。一面に中世の歴史があり、他面にはグルメやマリンスポーツ、それに文化、芸術、そして海山の自然があります。





人々に幸福をもたらす街、元気にしてくれる街、鎌倉とは一体どんな街なのか?





本書では、「歴史」「和歌・短歌」「絵画」そして「映画」の四つのテーマから鎌倉の正体を明らかにしていきます。いずれも鎌倉に深く根を張っている重要なテーマです。





鎌倉を知ることは日本を知ることであり、それはその歴史と美しさに我が身がいつも包まれているということです。





ストレスなくお読みいただくための一助として、要所に写真を掲載しています。





大まかな目次:「鎌倉の歴史」「鎌倉の和歌・短歌」「鎌倉の絵画」「鎌倉の映画 松竹大船撮影所」

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Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永