鎌倉薪能

鎌倉宮 薪能

篝火と能舞台

鎌倉宮で毎年秋に開催されている鎌倉薪能です。

2025年のメニューは次のとおりでした。

狂言は和泉流。シテは野村裕基さん。萬斎さんのご長男です。





演目は「棒縛」

能は金春流。シテは金春憲和さん。金春流八十一世宗家です。





演目は「羽衣」

橋掛りの向こうに灯火に照らされた社殿が見える
能舞台

鎌倉宮境内に舞台が設置され、写真のとおり、舞台の奥には神社の灯りが見え、舞台はご神木と、そしてしめ縄に囲われています。





そもそも能は夢幻の舞台。橋掛りは幽界と現世とを繋ぐ橋。





私は常にも増して陶然と時を忘れました。

橋掛りと揚幕

とくに、「羽衣」の天女の寸鉄人を刺す的の言葉、「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」。





そしてすぐさま、漁師の言葉、「あら恥ずかしや」と言って羽衣を天女に返すシーン。





あそこで私は誇張なく目頭が熱くなりました。





踊りを踊れば羽衣を返すと漁師は言い、羽衣が無ければ踊れないと天女はうったえる。そこで漁師は、羽衣を返した途端に約束を反故にして天へと帰ってしまうつもりだろうと疑う。そこで、天女はくだんの「いや疑いは・・」の警句を発するのです。





あのシーンでは、天女という異界の人物とこの世の私たちの代表のような漁師とが羽衣を介して、ほんの一時的ではありますが触れ合います。

返還を渋る漁師、そして天女の寸鉄人を刺す的の言葉、その言葉に恥じ入って即座に羽衣を返還する漁師。





漁師もまた役者がいいではないですか。

とにかく、天女がその両腕を前に延べ、そこへ漁師が歩み寄って、その伸ばした腕の中に羽衣を載せるというあのシーン。私はすこぶる感動しました。





天女も漁師も共に役者がいいので、返せ返さぬの見苦しき事態にはならずに、物語は麗しい結末を迎えるのでした。

世の中には絶対に理解し合えない人がいる。これは大人たちの必須の教訓なのでしょうが、もし、もしも全ての人間がこの天女と漁師のようになれたら、この世は天国と等しいものになるでしょう。

Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永