鎌倉桜(桐ヶ谷桜)

鎌倉の街は北条氏の滅亡と共に古都になってしまったのではありません。次の室町時代にも鎌倉には鎌倉府(鎌倉公方)が置かれ、依然として鎌倉は武家の都であり続けました。

源頼朝の時代から鎌倉公方足利成氏が現在の茨城県古河市へ移るまで、実に270年もの間、鎌倉は武家政権の中心地であったわけです。これはほとんど江戸時代と同じ長さで、日本史において、鎌倉が江戸や京都と同等に非常に重要な街であること、理解できると思います。

この中世という時代には、栄西や親鸞などのいわゆる鎌倉新仏教が誕生し、そして金槐、新古今、玉葉和歌集などの新規な歌集が編まれ、水墨画の伝来と絵画界全般の進化、鎌倉彫の創始と仏像彫刻など美術・工芸分野の進展、さらには能、茶の湯、華道などが新たに誕生しています。つまり、日本の伝統文化の主要なものの多くは鎌倉・室町時代にその原点があるのです。

鎌倉を知ることは日本を知ることです。そして、それは同時にその歴史と美しさに常住我が身が包まれることでもあります。

近年においても川端康成や大佛次郎、四賀光子などのいわゆる鎌倉文士の面々や前田青邨や平山郁夫、小倉遊亀などの巨匠と呼ばれる画家たちが鎌倉を住まいに選んでいることも故なしとはしないのです。

上の観点から、私たちは主に鎌倉にゆかりのある本を制作します。また、本の販売だけではなく、このウェブサイトなどを通じて少しでも鎌倉の美しさ、ひいては日本の美しさが感じられる情報を紹介していきます。

「だって鎌倉があるじゃないか!」

鎌倉という街を持っている私たちは幸せだと思います。

Lab 鎌倉奥乃院 代表 益田寿永

私たちのロゴマークについて
苔色の円の中の動物はニホンオオカミです。
絶滅したことになっていますが、今でもその魂も凍るような恐ろしい遠吠えを聞く人がいます。
ニホンオオカミが生存できる第一の条件は広大な森林の存在です。
ニホンオオカミがいなくなった山は寂しいです。つまらないです。生きた山とはいえません。
月夜にニホンオオカミの遠吠えを再び聴きたい。
そんな願いからニホンオオカミを私たちのシンボルにしました。